「最高の人生でした。」
1000名のがん患者を看取ってきた緩和ケア医の関本剛医師。
多くのがん患者に寄り添ってきた関本医師は、2022年4月に、自らもがんで他界されました。
関本医師が生前に収録し、葬儀の際に上演された「最期の挨拶」。youtubeに投稿されると、動画をみた方々からは「励まされた」「希望をもらった」と感謝の声があふれています。
「最高の人生でした」関本医師の「最期の挨拶」
関本医師の「最期の挨拶」は、youtubeに投稿されると、ひと月も立たない間に300万再生され、高評価も3万回に達しました。
実際に投稿された関本医師の動画「お別れの挨拶」がこちらです。
神戸新聞社のチャンネルに投稿されている動画ですが、この動画は、関本医師の親族の了承を得て投稿されたそうです。
関本医師の「お別れの挨拶」を文字に起こします。
現在2020年の10月10日でございます。私が肺がんの脳転移ということが診断されましたのが2019年10月7日でございますので、今1年目でございまして、まだ幸い脳転移に対して治療で制御できている状況ではあるのですけども、いずれ効かなくなる治療とは思っておりますし、かねてから自分の通夜、葬儀の挨拶は自分でしたいと思っておりましたので、VTRで大変失礼ですが、このようにメッセージを作成させていただいた次第でございます。
このVTRが流れているということは、既にお迎えが来たということだと思います。
平均寿命からしたらいささか短い人生ではありましたけども、思い起こせば最高の妻・子ども・両親・親族に恵まれ、最高の友人・同僚・先輩・後輩に囲まれ、そして高校時代から生業にしたいと思っておりました緩和ケアをずっと仕事にすることができ、趣味を楽しんだり、職業奉仕を楽しんだり、一言で言うと“最高の人生”でございました。
ただ1つ後悔というか、気がかりなことがあるとすれば、残していく家族のことでございます。特に妻や子どもたちのことが気がかりでございます。皆さまにおかれましては、これまでと同様にお遊びであったり、何かの会合に、ぜひ妻や子どもをお誘いいただければ幸いでございます。ぜひともお力添えのほど、よろしくお願いいたします。
おそらくこれから私はあの世に行きまして、先に逝かれた先輩たちと、おそらく宴会三昧の日々だと思うんですけども。後から来られる皆さまのために、皆さまが来られたときに気分よくこちらの世界に来ていただけますように、天国であっても地獄であっても、いいお店・いいお酒を手配してお待ちしております。ぜひアテンドさせていただきますし、もちろんそのような日が少しでも遅くなりますことをお祈りしつつ、私のお別れの挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。また、会いましょうね…
この動画は、関本医師が亡くなる2年前に撮影されたものです。
自分の人生を短いながらも最高の人生だったと語る関本医師。死を目前にして、こんなに冷静に、そして、こんなに穏やかに語りかけるように話すなんて自分にはできるだろうか。
関本医師の「お別れの挨拶」を見させていただいて、真っ先に感じたことでした。
「お別れの挨拶」に寄せられたコメント
動画「1000人を看取った緩和ケア医、45歳の死 がんに侵されながらも「自分らしさ」貫いた最期の日々」には1200を超えるコメントが寄せられています。
・いつか私もあの世でお会いできたらと思います。素晴らしい動画をありがとうございました。
・最高の息子、最高の夫、最高のお父さん、最高の友人だったに違いない。
・なんだろ、「死ぬことは悪くないよ、誰にでもいつかは訪れるから」というようなスタンスで凛としている姿に感動した。
また、Twitterにも関本医師への投稿が多数ありました。
関本剛医師プロフィール
神戸市東灘区出身。関西医大卒。
病院勤務を経て2018年、母雅子さん(72)が開業した緩和ケア専門の関本クリニック(同市灘区)院長となった。
2019年に末期肺がんと脳転移が見つかり、抗がん剤治療を受けながら、亡くなる1カ月前まで患者の診療を続けた。
関本医師のお母さん、関本雅子さんは、息子と同じ緩和ケア医として複雑な心境だったとTV番組の取材でお話しされていました。
関本医師は、がんが進行するにつれ、手が麻痺し、ろれつが回らなない状況だったといいます。
自分の死を目前にしてもなお患者に寄り添い続けた関本医師。関本医師の「お別れの挨拶」を見ていると、人の死は誰にでもいつかは訪れるもので、必要以上に恐れたり、悲しむ必要はないと気づかせてくれる気がします。
最後までお読みくださりありがとうございました。
コメント