医学が現代ほど進歩していなかった19世紀。未熟児の死亡率も高かったと聞きます。
そんな19世紀後半に、6500人もの未熟児の命を救った1人の男性がいます。しかし、彼は無資格医だったのです。
この記事は、19世紀後半に、6500人もの未熟児の命を救った無資格医のお話しです。
保育器で未熟児の命を救うクーニー
現代ほど医学が進歩していなかった19世紀では、未熟児が生き残る確率は低かったそうです。
未熟児とは、低出生体重児のことをいいます。
未熟児(みじゅくじ)とは、早産などで出生時の体重が2000g未満もしくは生活能力が特に薄弱の低出生体重児のことである。
wikipediaより引用。
医師の未熟児への対処法の知識が十分になかったのが理由ですが、医師が家族へ諦めるよう宣告することも少なくなかったようです。
このような状況を救うべく、未熟児の命を守るために1人の男が立ち上がります。
ドイツ人男性のマーティン・クーニーです。
クーニーは、1880年代にパリで初導入された保育器を普及させようと、1896年、ベルリンで保育器に入れた未熟児たちの展覧会を行い、話題を呼んだのでした。

クーニーは無資格医だった

クーニーは、ヨーロッパで保育器を普及させたフランス人名医ピエール=コンスタンタン・ブーダンの弟子だったと自称していましたが、医学教育を一切受けておらず、医師免許も持っていませんでした。
クーニーは無資格医、ブラックジャックだったのです。
クーニーはいわゆる「ニセ医者」と呼ばれる存在でしたが、彼の未熟児で生まれた子供たちを救いたいという気持ちは人一倍強いものでした。
日本に至っては、医療行為について一般人は禁止されている。では、医師免許を持つ者に特別に許されている行為なのか?
こんな問いに問答がyahoo知恵袋にあったのでご紹介します。
医療行為って一般人には禁止されているが、医師免許を持つものには特別に許されている行為なのですか?
医療行為は患者の生命身体に危険が及ぶ行為が多いため国家資格の免許を有するものが医行為ができる。医師法によって医師国家試験によって免許を受けるものができる。
医師法による規定・・・
第十七条 医師でなければ、医業をなしてはならない。
第十八条 医師でなければ、医師又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない。
医師・歯科医師・看護師以外でも軽微な医行為は免許がなくてできる行為がある。
爪切り・耳掃除・血圧測定・軽微な傷や火傷の臨時の処置・体温測定・など。
http://www.mhlw.go.jp/stf2/shingi2/2r9852000000g3ig-att/2r985200000…
緊急の心臓マッサージ・人工呼吸・AEDなど救命措置は違法性が阻却される。
医行為とはどのようなものか厚生労働省が範囲を定義している。
http://www.geocities.jp/adliteracy/iryoukoui.html
診察・診断・治療・手術から処方箋の交付・診断書の交付・患者指導なども医行為としている。
緊急の心臓マッサージ・人工呼吸・AEDなど救命措置は違法性が阻却される。つまり、違法ではない。生命の危険があり、緊急性がある場合、これらは行ってもよいということなのですね。
クーニーは保育器で未熟児を展示していた

クーニーは、1896年にベルリンで保育器に入れた未熟児たちの展覧会を行い、それ以降はいろいろな場所で「未熟児展示会」をしていました。
最終的に1903年にアメリカに定住。しかし当時のアメリカでは、保育器は一般的に有効な医療機器とはみなされていなかったそうです。
NYのコニーアイランドで、未熟児たちを保育器に並べた展覧会を始めたクーニーは、会場にやってきた客らから25セントを徴収します。
しかし、この入場料は、「未熟児の治療のための費用」だったのです。
当時の保育器の維持費は、1日約15ドル(今日では400ドル)だったそうです。一日に何人来場したかは定かではありませんが、25セントというお金はほんのわずかな足しにしかならなかったと思います。
クーニーは保育器で治療を受ける赤ちゃんたちの親からは治療費を一切受け取らず、入場料と自らのお金でなんとか賄っていました。
クーニーの展覧会の評判は医学界にも届きましたが、多くの人が「クーニーは単なるショーマンに過ぎない」とバッシングします。
しかし、クーニーはメディアを通して「未熟児に十分なケアが提供されるのであれば、今すぐ展覧会を廃止する」と反論しました。
当時の医学界に怒りを抱いていたクーニーは、ニセ医者と呼ばれることを承知しながらも、小さな命を守ることに専念し続けたのです。

無資格医クーニーが後の小児医療に大きな変革をもたらした
やがて1940年代初頭になると、人々の関心は徐々になくなっていき、展覧会は廃止となります。
しかし同時に、未熟児のケアをするユニットが病院に次々と導入され始めたのです。クーニーが長年夢見たことが実現するのでした。
その後、クーニーはニセ医者と言われた表舞台から姿を消し、1950年代に80歳でひっそりと旅立ったそうです。クーニーには、わずかの財産も残されていなかったといいます。
彼は約40年にわたり、8000人ほどの未熟児を受け入れ、6500人ほどの命を救ったと言われています。
医師免許を持っていない、独力で未熟児の治療法を変えたマーティン・クーニーの功績は、彼が亡くなるまで大きく語られることはなかった。しかし、後の小児医療に大きな変革をもたらしたことは間違いないのではないでしょうか。
19世紀後半に、6500人もの未熟児の命を救った無資格医マーティン・クーニーのお話しを紹介しました。
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参考:カラパイア
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