アフガニスタンで病院や用水路の建設など復興事業に関わってきた中村哲医師(73)が銃撃により亡くなられました。
1984年に37歳でパキスタンの州都ペシャワールに赴任された中村哲医師。1998年には基幹病院をペシャワールに建設して院長になってます。
現地の人々は中村哲医師を最上級の称号「ドクター・サーブ」(英語に言いかえるとドクター・サー)で呼び、尊敬していたそうです。
中村哲医師の死に対して、たくさんのアフガニスタンの人々がTwitterで「#SORRYJAPAN」のハッシュタグをつけて追悼のツイートをしています。
この記事では、中村哲医師の死に対するアフガニスタンの人々の反応や、日本人の声、中村哲医師が残された名言などを紹介します。
「#SORRYJAPAN」アフガニスタンの人々の中村哲医師死亡に対する反応
アフガニスタンの人々が中村哲医師に対して追悼のツイートをしているので紹介します。
私たちの歴史の中の黒い日。
私達アフガン人は非常に残念です。
中村哲医師死亡に対するみんなの声
中村哲医師の死を悼む声がたくさんあげられています。
見るものすべての心をうつ中村哲医師の名言紹介
中村哲医師はアフガニスタンで人道支援活動をされていたのですが、功績がわかる画像がありましたので紹介します。
中村哲医師は、アフガニスタンでの人道支援活動のかたわら、たくさんの著書をだされています。著書のなかにはたくさんの名言がありますのでいくつか紹介させていただきます。
「誰もがそこへ行かぬから、我々がゆく。 誰もしないから、我々がする」
「必要なのはお喋りではなく、実弾である。現地の我々は、飲料水確保に全精力をつぎ込む。水は命である」
「鍬も握っていない外国人が 農業支援を行うことはできません」
「『戦争協力が国際的貢献』とは言語道断である」
「いわゆる教育の浸透するところ、若者は長老の迷信と陋習を笑い、都市に流入する。農村は荒廃してゆく」
http://www.great-saying.com/w-nakamuratetsu01.html より引用。
著書「辺境で診る辺境から見る」に書かれている中村哲医師の言葉です。どれも心をうつ言葉ですね。
「誰もしなかったことをしていく活動には覚悟が必要」そう思える言葉ばかりです。
コメント